金澤翔子

「心で生きる」――金澤翔子さんの母・金澤泰子さんが語る子育てと書道

書道家・金澤翔子さんの力強くも温かい作品の背景には、母・金澤泰子(かなざわやすこ)さんの深い愛と覚悟があります。彼女は、ただの“支える母”ではなく、書家として、そして人生の先輩として、娘と真正面から向き合い続けてきました。

この記事では、「ダウン症のある娘を育てた書家」として注目される金澤泰子さんの言葉や、翔子さんとの関係、そして“書を通して生きる”という姿勢について紹介します。

絶望から始まった出産、そして希望へ

1985年6月、翔子さんが誕生。しかし医師からダウン症であることを告げられた瞬間、泰子さんの心は絶望に包まれました。「なぜ私の子が…」という葛藤、将来への不安、自責の念――そのすべてを味わったと語っています。

けれど、娘の笑顔や、目を見て手を握る時間を重ねる中で、泰子さんは次第にこう思うようになります。「この子は“何か”を持っている。その力を信じよう」。

そして、翔子さんが1歳半の頃から筆を持たせ、書道の世界へ導いていきます。

書道は“道”である――親子の修行の日々

泰子さん自身も書家であり、師範でもあります。だからこそ、翔子さんにも一切の甘えなく、厳しく向き合いました。1日5時間を超える練習、妥協のない添削、涙を流す日も数知れず。

しかしそれは、「障がいがあるから特別扱いする」育て方ではなく、「人としてまっすぐに生きてほしい」という母としての願いでした。

やがて翔子さんの作品に、人を惹きつける不思議な力が宿り始めたとき、泰子さんは確信します――「この子は、書で人を救える」。

全国へ、そして世界へ羽ばたく翔子さん

2005年、東大寺での初個展「共に生きる」。泰子さんは、娘の名前を出すことに最初は迷いがありました。しかし、「名前と顔を隠していたら、翔子はずっと“いない存在”になる」と気づき、公に出すことを決意。

その後、NHK大河ドラマ『平清盛』の題字抜擢や、清水寺での奉納書「命」などをきっかけに、翔子さんの作品は全国・世界へと広がっていきます。

そしてどんな大舞台でも、舞台袖には泰子さんがいます。そっと手を握り、心を整えるその姿は、観客からは見えない「親子の絆」の象徴です。

金澤泰子さんが伝えたい“育て方”

泰子さんは、子育て講演でもこう語ります。「大切なのは、できないことを見るのではなく、できる可能性を信じること」。

障がいがある、勉強ができない、言葉が遅い――そうした“できない”にばかり目を向けてしまうと、子どもは自信をなくします。けれど、「あなたにはあなたにしかできないことがある」と信じ続けたとき、子どもは必ず何かを開きます。

それは障がいの有無にかかわらず、すべての子育てに共通する“真理”なのかもしれません。

「心で生きる」ことの意味

泰子さんがよく使う言葉に「心で生きる」があります。これは、計算や損得で生きるのではなく、目の前の人や物事に心をこめて向き合う生き方のこと。

翔子さんの書がここまで多くの人を魅了する理由も、「心で書いている」からに他なりません。そしてそれを育んできたのが、泰子さんの「心で生きる子育て」なのです。

まとめ:子どもの可能性を信じる力

金澤泰子さんの人生は、苦労と葛藤の連続でした。しかしその一歩一歩は、翔子さんの成長とともに実を結び、今や多くの人々に希望を与える存在になっています。

「心で生きる」「信じる力」「違いを受け入れること」。泰子さんの言葉と生き方には、これからの時代にこそ必要なメッセージが詰まっています。

翔子さんの書を見るとき、そこには必ず泰子さんの「見えない筆」も重なっている。そんな想いで作品に触れてみてはいかがでしょうか。

-金澤翔子