かつて「LIFE」という曲がテレビのCMから流れ、多くの人の心に残ったのを覚えている人も多いのではないでしょうか。あの歌を届けてくれたのが、音楽ユニット「キマグレン」のボーカル、クレイ勇輝さんです。
しかし、彼の音楽の背景には、知られざる苦労や挑戦、そして"母"という大きな存在がありました。本記事では、クレイ勇輝さんの人生と、母との絆、そして再び音楽に向き合うまでの歩みをたどります。
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国際的な感性を育んだ少年時代
クレイ勇輝さんは1980年に新潟県で生まれました。本名は榑井勇輝(くれい・ゆうき)さん。日本人の父と外国人の母の間に生まれた彼は、幼い頃から国際的な環境で育ちます。
幼少期に移り住んだのはカナダ。広大な自然と自由な文化の中で過ごした5年間は、彼の感性を大きく育てました。その後、日本に戻り、さらに中学時代にはオーストラリアへ留学。人と違う環境を渡り歩いた経験は、彼に「自分らしくいることの大切さ」を教えてくれたのかもしれません。
進学と迷い、そして音楽へ
高校を卒業後はアメリカ・ニューヨーク州の大学に進学。最初は経済学を専攻しましたが、途中で「人の体や心に直接関わることを学びたい」と考えるようになります。結果、スポーツ医学を学ぶためにハワイ大学へ転入するという異例の進路変更を果たします。
当時から「枠にはまらない生き方」を選んできた彼。勉強しながらも、音楽や人との出会いを大切にし、少しずつ「自分にしかできない何か」を模索していたようです。
キマグレン誕生:海と音楽と仲間のチカラ
日本に帰国後、彼が選んだのは"海辺のライブハウス"という舞台でした。地元・逗子海岸に、自分たちで作った音楽の空間「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」をオープン。まるで自宅のように、気軽に音楽を楽しめる場所を提供したのです。
この場所で出会ったISEKIさんと意気投合し、2005年にユニット「キマグレン」を結成。ライブ活動を続ける中で、ついに2008年に「LIFE」でメジャーデビューを果たします。
海を感じるような爽やかなメロディと、ストレートな歌詞が多くの人の共感を呼び、キマグレンは瞬く間に人気ユニットへと成長していきました。
支え続けた母の存在
その裏で、クレイ勇輝さんの活動を静かに、そして力強く支えていたのが母親の存在でした。
「好きなことをやりなさい」「自分の信じる道を進んでいい」——そんな母の言葉が、幾度となく彼の背中を押してきました。
音楽の道は華やかに見えても、実際には苦労の連続です。資金繰り、会場運営、そしてプレッシャー。心が折れそうなとき、勇輝さんが思い出すのは、遠く離れていても変わらず応援してくれる母の笑顔だったといいます。
母は健康に不安を抱えながらも、常に息子の活躍を気にかけ、誇りに思っていたそうです。そんな無償の愛情が、彼の音楽に込められた"優しさ"の源だったのかもしれません。
解散と決意、そして再出発
2015年、キマグレンは10年間の活動に区切りをつけ、解散を発表。勇輝さんは音楽以外にも活動の幅を広げていきます。テレビ番組の司会、イベントのプロデュース、さらにはプロボクサーとしてもライセンスを取得し、異色の挑戦を重ねました。
しかし、そんな中、彼の人生を揺るがす出来事が起きます。それは、最愛の母との別れでした。
母が亡くなったのは2023年。長い闘病の末、静かに息を引き取ったといいます。彼が最後に聞いた母の願いは、こうでした。
「もう一度、キマグレンが見たい」
この言葉が、彼の心を大きく動かします。
解散から数年が経っていましたが、勇輝さんは迷わずISEKIさんに連絡をとり、母のために、そして支えてくれた人たちのためにもう一度ステージに立つ決意をします。
"ありがとう"を届けるために
再結成ライブは、かつてのファンだけでなく、新たな世代にも大きな反響を呼びました。
音楽の力は、時を超え、場所を越え、人の心を動かします。そして、その中心にあるのは、誰かを想う気持ち。
クレイ勇輝さんが母に向けた"ありがとう"という思いは、歌となって観客の心に届きました。言葉では伝えきれなかった感謝や愛情を、彼は音楽で表現したのです。
これからも「母の想い」とともに
クレイ勇輝さんは、今後も音楽や地域活動を通じて「人を元気にする」活動を続けていくと語っています。それは、きっと母が願った未来そのもの。
「母からもらった勇気を、次は誰かに届けたい」
その言葉通り、彼の人生は、誰かを励まし、誰かの背中を押すメッセージで溢れています。
まとめ|母と息子が紡いだ音楽の奇跡
クレイ勇輝さんの人生は、母の存在なくして語れません。音楽に進んだ理由、困難を乗り越えた原動力、そして再び立ち上がった決意。すべてに母の想いが寄り添っています。
家族との絆は、時に人生の大きな道しるべになります。そしてその絆が生み出す音楽は、聴く人の心に優しく響き続けるのです。