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椿野ゆうこ「父の自死」を語るまで──アイドルと気象予報士を目指した彼女が抱えてきた痛み

「自分の中にずっと閉じ込めていたこと。けれど、もう隠すのはやめようと思った。」

グラビアアイドルとして活動しながら、異色の肩書「気象予報士」としても知られる椿野ゆうこさん。彼女が2024年、自身のSNSを通じて「父が自死で亡くなった」ことを告白した投稿は、大きな反響を呼びました。

10代の頃から父を亡くし、長年語れなかった胸の内。なぜ今、彼女はその重い事実を公にすることを選んだのか。そして、その経験は彼女の進路にどんな影響を与えてきたのか。椿野さんの過去と現在をたどりながら、その背景に迫ります。


京都出身のアイドル、異色の経歴

椿野ゆうこさんは、2000年8月1日生まれ、京都府出身。現在は、アイドルグループ「ひめもすオーケストラ」のメンバーとしてステージに立ちながら、グラビア活動やテレビ出演など多方面で活動中です。

しかし、彼女のもう一つの顔が「気象予報士」。日本でも合格率が数%といわれる難関資格であり、実はこの資格を目指した背景には、亡き父との記憶が深く関係しているのです。


気象予報士を目指した理由──父と空を見上げた記憶

幼い頃、椿野さんの父は、気象や自然の話をよくしてくれたそうです。休日に一緒に空を見上げ、雲の名前や季節の変化について語り合う時間が、彼女にとってかけがえのない思い出だったといいます。

「父と一緒に見た空の景色が、今でも忘れられないんです」

その体験が原点となり、やがて彼女は本気で「気象予報士」という専門職を志すようになりました。実際に本格的な勉強を始めたのは2021年。当時、椿野さんは大学生で、昼は授業、夜はアルバイト、そして深夜に試験勉強という生活を送っていました。


2021年──突然の父の死、心の中の"空白"

気象予報士試験の準備を進めていた最中、彼女の人生を大きく変える出来事が訪れます。最愛の父が、自ら命を絶ったのです。

「突然のことでした。何も知らされていなかったし、まさかそんなことが起きるなんて思ってもみなかった」

あまりに唐突で、あまりに重い出来事。彼女は混乱し、悲しみを受け入れる余裕もなく、ただ日常をこなすことで気持ちを紛らわせていたといいます。

周囲には「病気で亡くなった」と嘘をついたこともあったと告白しています。自死という言葉を使うこと自体に、強い抵抗があったのです。


語れない苦しみ──「自死遺族」という孤独

日本社会では、自死に対する偏見や誤解がいまだ根強く残っており、「自死遺族」は深い孤独を抱えがちです。

「"どうして止められなかったの?"という空気や、"家庭に問題があったのでは"と勝手に決めつけられる感覚がつらかった」

だからこそ、椿野さんは沈黙を選びました。気象予報士の勉強も続けながら、心の整理がつかないまま数年が経ちました。


「ひめもすオーケストラ」への応募──何かを変えたかった

父の死から時間が経ち、自分自身の殻を破りたいという気持ちが少しずつ芽生えてきた椿野さん。そんなとき、彼女の目に留まったのが「ひめもすオーケストラ」の新メンバー募集でした。

「新しいことに挑戦することで、自分を変えたかった。悲しみを抱えたままではなく、何かを前に進めたくて…」

応募を決めたのは、ほんの小さな勇気。でも、その一歩が、彼女にとっては大きな転機となりました。

合格後は、グループの一員としてステージに立ち、ファンと直接ふれ合う日々が始まります。ライブでは満面の笑みを見せながら、心の奥底にはずっと語れなかった思いがあったといいます。


SNSでの告白──「もう、ひとりで抱え込むのはやめた」

2024年、ついに彼女は自身のX(旧Twitter)で、父が自死したことを告白します。

「父は自ら命を絶ちました。ずっと話せずにいました。でも今は、同じように苦しむ人たちの力になれたらと願っています。」

この投稿には、多くの反響が集まりました。同じように親族を亡くした人々からの共感、励ましの声が続々と届いたのです。

「私も、家族を自死で失いました」 「ずっと黙っていたけど、ゆうこさんの言葉で救われた」 「話してくれてありがとう」

その一歩は、彼女にとっても、社会にとっても、大きな意味を持つものでした。


「気象も心も、突然変わるからこそ、備えることが大切」

現在、椿野ゆうこさんは、気象予報士としてもテレビに出演するなど活動の幅を広げています。天気の不安定さや予測の難しさに、人の心の揺れを重ねることもあるそうです。

「空の変化と心の変化って、似ている気がします。どちらも突然崩れる。でも、小さな変化を見逃さないことが、何より大事なんです」

「話してもいい」「泣いてもいい」「助けを求めてもいい」──。彼女の言葉は、ただ明るく伝えるだけの天気予報士ではなく、「寄り添うこと」を大切にする新しい形の表現者として、多くの人の胸に届いています。


まとめ:悲しみは消えなくても、誰かを救う力になる

父の死を乗り越えるため、気象予報士・アイドルという道を歩んだ椿野さん
長年語れなかった「父の自死」を、2024年SNSで初めて告白
同じような経験をした人たちに、言葉で寄り添う姿勢を貫く
「空の変化と心の変化」に重ね、日々小さなサインを見逃さない大切さを伝えている
読者の声
「私も父を亡くしました。ゆうこさんの勇気に涙が出ました」
「自死遺族として、ずっと黙っていたけど、初めて"話していい"と思えました」

椿野ゆうこさんの歩みは、決して派手ではありません。でも、静かに、確実に、誰かの心に灯をともすようなものです。

あなたのそばにも、語れずにいる痛みを抱えた人がいるかもしれません。 耳を傾けること、言葉をかけること、それ自体が希望になる──そんなことを、彼女の姿から学べるのではないでしょうか。

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